どうして「おさんぽ」なのか?

わたしが「おさんぽ」したい理由

むかし、わたしも子どもでした(あたりまえですが・笑)

昭和49年、神奈川県茅ケ崎生まれ&育ち。
「ファミコン」ができたのが小学校高学年の時で
ギリギリ、10歳までを文字通り 『野山を駆け回って』育った世代です。

わたしは小さい頃から、「いきもの」と「地球」が大好きでした。

どのくらい? と言いますと・・・
4歳の頃には 恐竜マニア だったくらい(笑)

4歳の女の子が、『恐竜のひみつ』という小学生向けの事典を抱え
恐竜の絵を描きまくり
太古の地球のロマンに想いを馳せていたのですから 相当の オタク女児 でした^^;

もちろん、恐竜だけでなく、身の回りの生きものたちが気になってしかたありません。

友達は花に草に虫に魚に小動物。

人がなにも世話なんかしなくても勝手に生まれて生きているはずの
虫やカエルを水槽やカゴに閉じ込めたら死んでしまう。
どうして死んでしまうのか?
こどもの私は必死で考えました。

そして
「その生きものだけを閉じ込めるから生きていけないんだ!」
ということに気付きます。

みんな揃ってさえいれば
世話なんか何もいらないんだ!

いきものは、呼吸をし、水を飲み、栄養を取って、排泄し、その排泄物を誰かにキレイにしてもらって
そして生きている。

わたしたちも
ミミズも、カエルも、魚も、鳥も、犬も猫も。

その「空気」は誰がくれるのか?
その「水」は誰がくれるのか?
その「栄養」は誰がくれるのか?
その排泄物は、誰がキレイにしてくれるのか?

わたしたちは、私たちだけでは生きていけない。

ヒトはヒトだけでは生きていけない。
魚も魚だけでは生きていけない。
カエルも、鳥も、犬も猫も。

わたしたちは、この地球という星の上に立っているから生きていられるんだ。

以来、わたしの「生きもの育て」はすべて
『生態系ごと移す』という遊びになりました。

必用な空気をくれる植物を
必用な水をくれる土を
排泄物を食べて植物と水に必用な土を作る
ミミズやダンゴムシや微生物を
必要な栄養…植物やえさになる動物を

みんな揃ってさえいれば
世話なんか何もいらない!

のです。

いま、我が家にはたくさんの植物たちと、金魚がいますが
私は、ほとんど「世話」はしていません!

いま、「いきものを飼う」となると王道は
「ペットショップに行って生きものと餌や世話の道具一式を買う」
という形になってきています。
そして、毎日規則正しく世話をしなくてはならない。

それは、「狭い空間に閉じ込めて、その生きものしかいない」から世話が必要なのであって
彼らがもともと生きていた、その場所の、その周囲の生きものみんながいれば
誰も何も世話などする必要なんかない

あなたも、おじいちゃんちとかで見たことないですか?
睡蓮鉢とか池の中でなーーーんにもしてない
エサもあげてないのに魚たちが元気に泳いでいるのを。

いろんな設備が必要になるのは
そうした役目をしてくれるいきものたちが「そろっていない」時や
熱帯魚を日本で飼いたいとか日本の気候があわない生きものを飼う時です。

もちろん、花も同じ。
私は花の世話も、たまに鉢植えに水をやるくらいです。
いのちはそんなに難しくないし、ヤワでもない。

でも難しいことのように感じてしまう。
それが今のペットやガーデニングの状態なように感じます。

そんな話がどうして花育の話なの?と思うかもしれませんが^^;
これが大きな規模になると農業・畜産ということですね。
=地球全体と、わたしたちの食べ物の話になります。

草や小さな虫や微生物がいるから、大丈夫なんです。
だから必要以上に除草殺虫殺菌滅菌しないほうがいい。
日本の水が飲めるのも、山と森があるから。
森を作ってくれるのも小さな虫や微生物。
木と土がなければ、飲める水はなくなります。
川の水がきれいでなくなると、海もだめになります。
=食べるものがなくなるということ。

でも「どうして」そうなのか知らないと、分からなくなってしまう。

自分でいのちを感じて、いのちに触れた経験がないと
こうしたことが分からなくなってしまいがちなのでは??
わたしはそう感じるのです。

そういう大きな地球規模の話は
もしかしたらあなたも、「現実味」がないかもしれません。
体感として分からない。

それを「体感でわかる」基盤になるのが
幼いころの自然体験ではないかと思うんです。

ある時、今の子どもたちが
「生きている魚の姿を知らない」という話を聞いてビックリしました。

でも、そう言われればそうです。
いま、「濃ブナ釣りしかの川」遊びをする子どもたちが一体どのくらいいるんでしょう?

生きている彼らを見て、釣って、網ですくって、飼ったり、食べたりして遊んだ子は
一体どのくらいいるんでしょう??

それを考えた時、わたしはとても怖くなりました。

スーパーでパック詰めになった切り身と、
スゴイ設備の水槽で泳ぐ魚を見た事しかない。

切り身の姿で泳いでると思ってる子もいるそうです。
でも確かに、親が伝えなければ、そう思ってしまって無理もない、いまはそういう環境になっています。

魚が泳ぐ川も海も、手をすり抜ける泳ぎの速さや、
釣りをかわす賢さや、自分の手で捕まえた時の喜びや、
そして、そのいのちをありがたく、頂くことの尊さを
じぶんの目で見て、手で触って、身体いっぱいに感じて、彼らへの尊敬と感謝を心で感じる
その経験が全くない

それは、ほんとうに、
食べ物を大事にしよう、とか
この地球をだいじにする
ということの意味が理解できるんだろうか??

いま、流行語のようにエコ、エコと言われていますが
流行りでもおしゃれでも義務でもなく
たくさんの、数え切れない種類の植物や動物たちがいてはじめて自然な状態
彼らが存在しないことが、感覚として「ヤバい」という危機感
今の子供たちが大人になった時、その感覚があるのだろうか??

「体感」「体験」で「知らない」ことは
ほんとうの意味では理解できないのではないか?

どんなに「地球を大事に」
「節電しましょう」
「ゴミを捨てないで」
「生きものを大事に」
「生物の多種多様性の保護を」 と聞いても
「なぜ」それが大事なのか
心で感じることができないのでは?

私ははじめはただ、息子に伝えたかったのです。
息子に、魚は海や川を泳いでいるもので
それを捕まえて食べているものと知ってほしかったし
お米が田んぼで1年かかってお米になっているのも見せたかったし
できるだけ野菜も家で育てて見せたかった。

おかげで今のところは、
「飼ってる金魚をどうして食べてはいけないの?金魚食べたいー」
と言うくらい(爆
水槽で泳ぐ魚と食べている魚が同じであることは理解している模様です(3歳)

でも、育児しているといろんな場面を目にするようになりました。
落ち葉を集めようとする子に「汚い!」
どんぐりを拾おうとする子に「何してるの!」
大人は意識なく、言ってしまうだけで、悪意があるワケじゃない。
でも、その子の20年後、30年後がどうなるかを、ほんの少しだけ、想像してみたら
少し子どもへの語りかけ方が変わってくるのではないか
そしてそのことが、こどもに「学んでいい」「知ろうとしていい」=意欲を
育んでくれるのではないかと思っています。  
それが、私の「おさんぽ花育」の発端です。

今なら、まだ間に合う。
おばあちゃんたちが教えてくれる。
私も教えられる。

昭和の日本にそのまま戻らなくては
と言うつもりはないし、思ってもいない。

ただ、ほんの少し前まで
わたしたち日本人は、「自然への敬意」をもっていた。

人間にはどうすることもできない自然の力を敬い
今自分が生きている「空気」「水」「食料」を誰が作ってくれているのかを知っていた。

空気は、植物が作っています。
水は、山と森が作っています。
私たちが食べているのは、ほかの誰かの「いのち」です。

それを
目で、手で、身体で、心で
ほんとうの意味で「知っている」
それだけで、優しくなれる気がします。

そして、人間などおよびもつかない
人間にはどうすることもできない
自然の智慧と技術とパワーへの探求心を持ち 知りたいと願うのも人間

子どもたちにはたくさん、挑んでほしい。 挑む自由の裏の責任を感じて育ってほしい。
自分の頭で考え、自分の手で創ることを続けてほしい。

転ばせないのではなく 転び方を伝えたい。
転んだあとの立ち上がり方を教えたい。

それこそが、将来、どんな時代になったとしても
子どもたちの「生きる力」になると思うし
彼らが生き抜く力を持つということ、 この星の上で生きていることを忘れないことが
わたしの子の子の子の・・・遠い子どもたちが生きていくためにとてもとても、大切だと思うから

だから、「おさんぽ」なんです。

けっして、たいそうな事をしなくてはならないのではない。
ちょっと前まで、あたりまえだった、
私たちがこの地上のメンバーであることを自覚できる時間
それが必要なだけなように思うから、

ただ、周囲のいのちを感じて歩く。 それでいいと思うんです。

まず、わたしたち大人が、ゆっくり、花や虫や鳥たちを感じて歩くことで
心のゆとりを取り戻し
季節の移ろいを肌で感じ
空や星や緑やいきものたちを美しいと感じる心を取り戻すことで
こどもにもおおらかに接することができるようになると思うのです。

そしてこどもたちには
その探究心とチャレンジ精神を持ったまま、育ってほしい。
大人が探求とチャレンジをゆったり見守る心の余裕が持てるなら
そして一緒に探求とチャレンジを楽しめるようになったら
きっと、もう30年後の未来はもっともっと!
素晴らしい未来になると思うのです。

「おさんぽ花育」は、決して、「お勉強をさせる」のではありません。
ドリルの点が良くなることが目的でもありません。

自分から、この世界のことを知りたい!と願う探究心を持ち
大人に愛されているという安心感・自己肯定感があること
「人間」としてそここそがとても大切だと思うし、見失わないでいたい

「おさんぽ」は、そんな素敵なギフトを与えてくれると、私は思っています。

本多るみ

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